苫小牧バプテスト・キリスト教会 信仰告白
前文 私たち苫小牧バプテスト・キリスト教会は、2012年2月19日に教会組織をするにあたって、主イエス・キリストに従う教会として、次のように信仰告白をします。この信仰告白が、一人ひとりの信仰を束縛することなく、励ましとして豊かに活かされることを祈ります。
○ 聖書
聖書は、私たちをイエス・キリストを主と信じる信仰に導きます。そのために聖書は、聖霊によって1神の言2として啓示され3、旧・新約聖書66巻として著わされました。
聖書は神の真理に生きるために与えられた唯一の道標4であると信じます。
○ 主なる神
主なる神は父・子・聖霊の三位一体にして唯一の神であると信じます。
○ 父なる神5
父なる神は、すべてのものを創られ6、その初めから終わりまで7を支配し、なおかつ祝福してくださる神8であり、救いの歴史を通して私たちを導いて御旨を示されます。しかし、そのすべてはただ父なる神だけが知る9のであり、私たちは父なる神の導きを信じ歩むものです。
父なる神は、私たちの生命(いのち)の源10であり、私たちを愛し育み11、被造物である私たちを子として招いて12くださる、唯一の義であり、まさに愛であると信じます。
○ 子なる神13、イエス・キリスト
子なる神であるイエス・キリストは、私たちの救い主であると信じます。
イエス・キリストは、聖霊によって人の子としてお生まれになり、人の喜びと苦しみを担いつつ神の国と神の義を宣べ伝え、神と人との和解のために孤独14を負い15、その狭間で苦しみぬかれました。
そしてイエス・キリストは私たちの罪のために十字架にかけられ、その死によって贖いの主16とされ、神の御旨により三日目に復活されました。そして今もなお小さくされた者17と共に歩まれ、神との交わりに導かれ18、天に昇られた後も私たちと共におられ、執り成してくださっています。
○ 聖霊なる神
聖霊なる神は、風のように御心のままに働き19、その不思議な力をもって私たちを導く助け主であると信じます。
聖霊なる神は、私たちの罪を明らかにし、執り成し、神の愛を注いで確かな希望20と赦しを与えてくださいます。私たちはその導きにより「イエスは主である」21と告白し、キリストに繋がる者22とされ、神の国を継ぐものとされる約束の証印23を受けました。私たちは、もはや御霊の実24を結ぶための聖霊の宮25とされています。その聖霊なる神に押し出され、私たちはイエス・キリストを証しするものとして、その示されているところへと遣わされます26。
○ 人間の罪と救い27
人は祝福28のうちに神のかたちに造られ29、地とすべての生き物に仕える者30とされました。しかし人は神との交わりを離れて背くものとなりました。ここに私たちの罪の源があります。その罪のゆえに私たちは死と滅びに定められました。
それにもかかわらず、神は預言者たちを遣わし、さらに独り子なるイエス・キリストを遣わしてくださいました。しかし私たちはそのすべてに背き、ついには独り子なるイエス・キリストさえも十字架にかけてしまいました。それにもかかわらず、神はそのイエス・キリストの死と復活によって私たちの罪を赦し、永遠のいのち31に招いてくださっています。
このイエス・キリストを主と信じることによって、私たちは神との和解に招かれ、新しい交わりの祝福のうちに生きるものとされていると信じます。
○ 教会
私たちは、聖霊の招きによって、イエス・キリストをかしら32とする一つのからだ33としてこの地に遣わされ、イエス・キリストを主と告白する教会として建てられていると信じます。
その使命を担うために、私たちは主の前に平等とされている教会員の合議による議決を主の御心と信じて教会を運営し、主に託された一人ひとりの召命と賜物34を主の栄光を現わすために用います。そして私たちは、各個教会が一つひとつの主のからだであることを喜び、自主独立しつつ互いに尊重しあい、共に福音宣教の働きに与ります。
○ 礼典
私たちは、主の晩餐35とバプテスマ36を主の命じた二つの礼典と信じ、これを行ないます。
私たちは、主イエス・キリストの十字架の死37を記念するものとして主の晩餐に与り、罪の赦しという恵みとキリストの再臨という希望によって、信仰を新たにします。
私たちは、自らの意思による応答として、イエス・キリストを主と告白します。そのかたちとしてイエス・キリスト御自身も受けられた浸礼によるバプテスマ38を尊重39します。このバプテスマは、私たちがキリストと共に葬られ、新しいいのち40に与ることを象徴し、教会という一つのからだとしての交わりに導きます。
○ 主の日にはじまる生活
私たちは、主の復活を記念するものとして週のはじめ41を主の日とし、礼拝をします。
私たちは、その主の日の礼拝から派遣され、それぞれの生活の場においてイエス・キリストを主と証し42し、隣人と共に祝福と福音を分かち合い、地の塩・世の光43として歩むものとされていることを信じます。
○ 教会と国家
教会は、神がそうであるように、小さくされた者と共に歩み、その命と権利を擁護する使命を与えられており44、国家の権威ではなく、良心の主45である神に従うものであると信じます。
そのために私たちは、神のみ心が行なわれるように常に目を覚まし46、国の営み47のために執り成しを祈り48、神の平和が実現されるために行動します49。
○ 終末の希望
イエス・キリストは大いなる力と栄光をもって再びこられる50ことを約束されました。その時、主イエス・キリストは神の義によって生ける者と死せる者を審かれます51。そして主のみ心に生きるものは変えられ、すべてが新しくされた神の国が完成52し、永遠のいのちに入れられます。
私たちは、主が約束されたその終末の時を、畏れと希望を持って信じ、待ち望みます。
主よ、きたりませ。アーメン。
1Ⅱテモテ3:16
2ヨハネ1:1-5
3詩篇119:130
4詩篇119:105/ヨハネ14:6
5マタイ6:9/ルカ11:2/ローマ書8:15
6黙示録4:11
7伝道3:1-8/黙示録22:13
8使徒17:24-28
9伝道3:1-11/マルコ3:32
10創世記2:7
11エペソ4:16
12ローマ書8:15
13ヨハネ1:18
14マルコ14:32-42/15:34/マタイ27:46
15「孤独を負う」とは「孤独も神さまから与えられたものとしてその身に引き受けられた」という意味で用いている。
16エペソ1:7/コロサイ1:14/第1ヨハネ4:10
17マタイ25:34-40
18cf主の祈り
19ヨハネ3:7-8
20ローマ書5:5
21Ⅰコリント12:3
22ヨハネ15:4
23エペソ1:13-14
24ガラテヤ5:22-23
25Ⅰコリント3:9
26使徒1:8/2:2-4
27ローマ書5章
28創世記1:28
29創世記1:27
30創世記1:26/ヨハネ13:3-5
31ローマ書5:21
32コロサイ1:18
33Ⅰコリント10:17
34Ⅰコリント12:4-14
35マルコ14:22-26/マタイ26:26-30/ルカ22:15-20/Ⅰコリント11:23-25
36マタイ28:19
37Ⅰコリント11:26
38マルコ1:9-11/マタイ3:13-17/ルカ3:21-22
39理由なく潅水礼や滴礼を採用はしませんが、病床のバプテスマなどの場合は配慮します。
40ローマ書6:3-4/死んで復活して元通り、ではなく、私たちはキリストと共にある新しいいのちに生きるものとされる。
41マルコ16:1-8/マタイ28:1-8/ルカ24:1-2/ヨハネ20:1-10
42使徒1:8
43マタイ5:13-16
44創世記1:26/マタイ5:31-46
45第1ペテロ3:16
46マルコ13:32-33/マタイ25:13
47通常「為政者」と表現されることが多いが、「国の営み」と表現することで、この社会のありようを含めた。
48ルカ2:14
49マタイ5:13
50マルコ13:20/マタイ24:30/ルカ21:27
51使徒10:42/黙示録20:12-13
52黙示録21:1-4