【聖書個所:第2コリント 5章17節/口語訳】
「だれでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」

この聖書の一節は、互いに裁きあおうとするコリントの教会の人々にパウロがおくった言葉である。そのパウロ自身がかつては人を外見で判断していた。外見とは、もちろんその人の見た目もあったろうが、履歴や出身、性別や立場、そういったものだ。人はそういったもので相手にラベルを張り、結局のところ人間的な好き嫌いで相手を判断する。パウロは自らの信念を信仰に置き換え、自分と同じ考えをもたない者を排斥する者であった。
しかしイエス・キリストと出会ったとき、パウロは回心することになる。キリストにあって、新しくされた者となる。それは、イエス・キリストが人を外見で判断し、裁いてきたパウロ自身のためにも、贖いの死を受け入れられたという事実である。だから、そのキリストを受け入れる事で、パウロは新しくされる。それがキリストにある和解である。それは自らが裁かれないために相手を裁かない、という妥協ではない。ただ、一方的に注がれる愛によって成り立つ赦し、和解である。

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